祐徳稲荷神社 |
こんにちは、なつきです。この記事では、佐賀県に極めて近い場所に住んでいた元福岡県民が遊びに訪れたことがある佐賀県の人気歴史スポットをご紹介します。魅力あふれる佐賀県の観光をお楽しみください。
吉野ケ里遺跡(神埼市神崎郡)
吉野ヶ里遺跡は、弥生時代に存在した環壕集落の跡であり、国内で最も広大な規模を誇る遺跡です。この遺跡は紀元前3世紀から紀元後3世紀にかけての長い期間にわたる変遷を知ることができる貴重な存在です。住居跡や高床倉庫の跡、墓地、銅剣、管玉などが出土しており、これらは歴史を解明する上で非常に重要な情報源となっています。
吉野ケ里遺跡については以下の記事でも紹介しているのでご覧くださいね。
祐徳稲荷神社(鹿島市)
祐徳稲荷神社は、京都の伏見稲荷大社と茨城の笠間稲荷神社とともに「日本三大稲荷」に数えられる神社です。この神社は、倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ)、猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)を主祭神としており、それぞれが生活全般、技芸上達、交通安全に関連しています。神社の境内は、楼門や神楽殿、本殿などで構成されており、その見事な外観から「鎮西日光(チンゼイニッコウ)」と称されています。
本殿の前には、美しい朱色の鳥居が続いており、奥の院からは壮大な景色が広がり、有明海まで見渡すことができます。この神社は年間約300万人の参拝客を迎えており、九州では太宰府天満宮に次ぐ人気です。四季折々の美しい風景が楽しめるため、春は桜の花で境内が彩られ、秋にはモミジやイチョウの紅葉が美しいです。また、東山公園も神社の一部であり、一目5万本のツツジや桜、コスモス、菜の花などが咲き誇り、花の名所として有名です。
佐嘉神社(佐賀市)
佐嘉神社は、佐賀藩10代藩主鍋島直正の功績を称え、鍋島家の祖先を祀るために、松原神社に南殿が建てられたことから始まりました。昭和8年には現在の場所に社殿が建てられ、直正公の霊が移されました。神社の中には、アームストロング砲や国内で初めて鋳造鉄製の150ポンドカノン砲がレプリカとして展示されています。アームストロング砲は、佐賀藩が幕末に保有していた後装施条砲であり、戊辰戦争では「佐賀の大砲」としてその威力を発揮しました。
宝当神社(唐津市)
宝当神社は、佐賀県唐津市の唐津城の北方約2kmに浮かぶ高島という島に位置しています。塩屋神社の境内社で、高島の産土神を祀っています。この神社は、海賊吉井主吾を打ち倒し、島民を救った野崎隠岐守綱吉が亡くなった際に、彼の墓所に祠を建てたことから「綱吉神社」としても知られていました。この神社は明和5年(1768年)に建立され、明治時代になって「宝当神社」と呼ばれるようになりました。
<宝当神社>
1992年には、高島の島民が宝くじを購入し、その当選を祈願するためにこの神社に訪れたところ、高額当選するという幸運に恵まれました。この出来事をきっかけに、「この神社に祈願すれば宝くじが当たる」という評判が広まりました。最近ではジャンボ宝くじの発売ごとに多くの人々がこの神社を訪れ、宝くじの当選を祈願するようになりました。そのため、島おこしのグループなどが施設を整備し、訪れる人々にさまざまなサービスを提供しています。高島の「宝当乃館本店」では、宝くじ売り場も設けられており、宝くじの購入も可能です。
<宝当乃館本店>
佐賀城跡/佐賀城本丸歴史館(佐賀市)
佐賀城は、佐賀市の中心部に位置しており、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城です。堀は幅50メートル以上で、石垣ではなく土塁で築かれています。周囲の土塁にはマツやクスノキが植えられ、城内の視界を遮るようになっています。
佐賀城本丸歴史館は、平成16年8月1日に佐賀市城内に開館しました。初日には県内外から多くの歴史愛好家が訪れ、幕末・維新期の雰囲気を体感しました。館内では、「幕末維新期の佐賀」をテーマに、佐賀城の復元や佐賀藩の科学技術、偉人たちについて分かりやすく紹介されています。また、館内には長さ45メートルに及ぶ畳敷きの廊下や320畳の大広間があり、和の空間を心地よく体験することができます。
唐津城(唐津市)
唐津城は、寺沢志摩守広高によって慶長七年(1602)から慶長十三年(1608)にかけて築かれたと伝えられています。その構造は、唐津湾を望む満島山を本丸とし、南西に広がる砂丘上に二の丸、三の丸が配置され、三の丸の周囲には城下町が形成されました。天守閣内は地元の博物館となっており、唐津藩の資料や唐津焼などが展示され、唐津の歴史に触れることができます。
また、展望所からは壮大な玄界灘と虹の松原の景色、そして松浦川と唐津の城下町の風景を一望することができます。天守閣の地階と1階は無料で入ることができますが、2階から5階は有料です。唐津城は海に面した小高い丘に位置し、「舞鶴城」とも呼ばれ、桜や藤の名所としても知られています。特に淡紅色の桜が海に映える光景は、唐津城ならではの美しさです。紅葉もおすすめです。天守閣からは、日本三大松原の一つである「虹の松原」と玄界灘に浮かぶ島々を一望することができます。
名護屋城跡/名護屋城跡博物館(唐津市)
名護屋城は佐賀県唐津市鎮西町名護屋にあります。文禄・慶長の役の際に築かれた平山城でした。しかし、築城からわずか7年後の1598年に豊臣秀吉が亡くなったことで戦いは終わりし、朝鮮半島からの兵が撤退しました。その結果、名護屋城も廃城となり、ほんの短期間しか使われなかった「幻の名城」となりました。
江戸時代に入ると、名護屋城は唐津藩の支配下に入ります。初代唐津藩主の寺沢広高によって天守は破却され、天守台の石垣も江戸時代初期に破壊されたのではないかと推定されます。また、1637年に起きた島原の乱の後、完全に石垣が壊されてしまいました。これは廃城であった名護屋城が一揆軍に利用されることを防ぐためだったのではないかと考えられています。
名護屋城に隣接する佐賀県立名護屋城博物館では、タブレットを利用してバーチャルな名護屋城の姿を体験することができますよ。
・大魚神社の海中鳥居(藤津郡太良町)
太良町栄町の有明海には、3つの海中鳥居が存在しています。1693年頃、ある代官が島に置き去りにされた際に、大魚(ナミノウオ)に救われたという出来事がありました。代官はこの感謝の気持ちから、「大魚神社」という神社を建立しました。さらに、岸から約200mの海中にも鳥居を建てたと伝えられています。
伝説の鳥居 大魚神社の「海中鳥居」
【伝説】
約300年前(1693年頃)悪代官に手を焼いた地区民が示し合わせて沖ノ島に誘い酒盛りをした。酔った代官を島に置き去りにした。満ちてくる潮で島は沈みかけ、驚いた代官は竜神様に助けを求めた。すると、大魚(ナミウオ)が出て来て代官は魚の背中に乗って生還した。感激した代官は魚の名前を取って「大魚神社」を建て、岸から約2丁(約200m)の海中に鳥居も建てた。以後、海の安全と豊漁祈願が行われ、地区民の暮らしも豊かになった。この鳥居は沖ノ島との間の鳥居であり、30年毎に建立する習わしが今も伝えられている。(観光たら~より引用)
鶴の岩屋(唐津市)
佐賀県唐津市肥前町にある法海寺は、「にあんちゃんの里」としても知られています。広場にはにあんちゃんの記念碑があり、そこから坂道を登ると鶴の岩屋(つるのいわや)のお堂が現れます。このお堂は天然の洞窟であり、3つの洞窟の岩壁にはなんと120体もの尊像が立っています。いつ頃石仏が作られたのかは分かりませんし、洞窟の起源も不明です。
寺の由来によれば、500年前にある修行僧が通りかかり、鶴が舞い降りる光景を目にしました。その霊験あらたかな土地に感銘を受けた僧は、洞窟を掘り広げながら仏像を彫刻しました。そして、この世の苦しみから人々が救われるようにと、疫病や飢饉などを乗り越えるための祈りを捧げ続けたのです。
・佐賀県立博物館・佐賀県立美術館(佐賀市)
佐賀県立博物館は、昭和45年に開館しました。以来、自然史、考古学、歴史、美術、工芸、民俗など、多岐にわたる分野の資料を収集し、調査・研究を行っています。これらの資料は、常設展示「佐賀県の歴史と文化」にて広く紹介されています。
佐賀県立美術館は、昭和58年に県政100年記念事業として博物館に隣接して開館しました。特に佐賀県にゆかりのある近・現代の絵画、彫刻、工芸、書などの資料を収集し、これらの調査・研究および展示・紹介を通じて、佐賀県の文化活動の拠点として広く親しまれる美術館を目指しています。
また、佐賀県立博物館の東側には、屋外展示場「アラカシ広場」があります。この広場は、縄文時代の遺跡から出土したアラカシの実が発芽し、約10メートルの高さに成長した「縄文アラカシ」を中心に整備されています。アラカシ広場では、陶石を砕くために使用された「水唐臼(みずからうす)」や「佐賀城の記石」、石造の三重塔などの石造物が展示されています。